Garasha Hosoka hide park, Midono, Yasaka, Kyo-tango , Kyoto pref. / Cyber WorkShop in Maizuru

細川ガラシャ夫人隠棲地@京丹後市弥栄町・味土野

細川ガラシャ夫人隠棲地マップ 静神社 京都工繊大・京丹後キャンパス 間人皇后母子像 細川ガラシャ夫人隠棲地 小野小町公園 <- クリッカブルマップになっています。●印をクリックすると解説ページにジャンプします。
 2010年度の舞鶴高専の産学連携・ものづくり技術者育成プロジェクトの最終回で、2010/12/2(木),3(金)と 京丹後市網野町網野の京都工芸繊維大学・京丹後キャンパスに引率に行った際、12/3(金)の早朝に、 細川ガラシャ夫人隠棲地である京丹後市弥栄町味土野に、HONDA FREEDで行ってきました。
 府道655号線は想像を絶する酷道で、京丹後キャンパスの言われる「軽の4WD車あるいはバイクで行くのが適当、クマが出るので気を付けないと」 のとおりです。落石もあって、一度FREEDの下に小さい石が挟まりこんだので、バックして外しました。現地は砦跡と思われ、女城、男城と 呼ばれる地勢が良くわかります。碑は地元の婦人会が昭和11年(1936)に建立したと刻まれてあり、74年も前のものです。
 地図を見て分かるように、京丹後市大宮町五十河の小野小町公園に抜けられますが、未舗装の近畿自然遊歩道であり「車両の通り抜けはできません」 となっています。なんというか丹後半島は林道の宝庫でトレールバイク向きですね。

 前日の2010/12/2(木)の昼休みに、京丹後市・市役所網野庁舎のそばの財団法人丹後地域地場産業振興センター 「アミティ丹後」に寄って、家族へのお土産を買いました。 左が丹後ちりめんの端切れ、その隣が「卵かけご飯用醤油:たまごむらさき」、そして「清酒・静御前:加悦町」です。
アミティ丹後の従業員のおばさんに、京丹後市弥栄町味土野への行き方を聞いたのですが、地図で説明してもらいましたが、 「ちょっと大変ですが、野間小学校が良い目印です」とのことでした。

野間小学校を過ぎて、左の写真の標識(これは京都工芸繊維大学の作品で、京丹後市にはこの形の標識がたくさん見かけます)、 のとおりに進みます。一度左に曲がりますが、ほぼ一本道です。しかし、
しばらくいくと、府道655号線になりますが、大変狭く(3ナンバー車では怖いでしょう)、濡れていて落ち葉も落石も ありブライドコーナーも多いので、ちょっとぎょっとします。
府道655号線の突き当りが、細川ガラシャ夫人隠棲地である女城です。この先は近畿自然遊歩道で「車両は通り抜けできません」 とありますが、軽トラックの轍がありますから、ある程度はいけるのでしょう。


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案内板を左にぐるっと回ると碑に上れます。

結構な広さです。砦跡(女城)であったことを偲ばせます。たぶん桜の木が囲んでおり、 春はきれいなのでしょう。向かいの男城も見渡せます。
 細川ガラシャ夫人は明智光秀の三女でありましたが、細川家は光秀からの助成の頼みを断り、 本能寺の変の後、山崎合戦で光秀が敗れた後に夫人を離縁しこの地に隠棲させました。 その後、許されて大阪に豊臣秀吉の人質として行き、関ケ原合戦直前にこれを拒んで自害した (キリスト教に入信していたので、自殺はできず家老に介錯させた)ということです。
まったく、すさまじい生き様です。



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府道655号線の帰り道です。なかなかの酷道です。