Baby Accordion / Cyber WorkShop in Maizuru

イマニシ楽器店(2010/1/30)

 2010/1/30(土)、ずっと自宅に引きこもって原稿書きを続けていたので、 気晴らしに西舞鶴の平野屋商店街まで自転車で出かけました。
前から気になっていた「イマニシ楽器店」で、衝動買いでミニアコーディオンを買いました。
下の写真のように、商店街からギターが見えます。舞鶴では十字屋が撤退(駅前デパート「さとう」の 3Fの音楽教室となった)してから、店頭にギターを置いてある店はとんと見かけなくなりました。
この楽器屋さんは極小規模ですが、おもしろくて安い楽器が置いてありました。

ベイビーアコーディオン(2010/1/30)

ミニフォークギターが5,000円からあったのですが、ピックや弦を置いてある ラックに、なにやら鍵盤らしき物があって、よく見るとアコーディオンでした。
「これは電気楽器じゃなくて、本物のアコーディオンですよね。」と店のおばさんに聞くと 「はいそうです。電気じゃない本物です。」とのことでしたので、思い切って衝動買いしました。 おまけにピック2枚も追加しました。価格は3,980円、ピックが1枚100円でした。
このアコーディオンは帰宅してインターネットで調べると、 キョーリツ・コーポレーションのACD-100(オープン価格)で、いろいろ調べると、大体2,940円〜 4,480円で通販されているようです。
←Click!「心の旅」の演奏例(超ヘタクソ)
とてもパワフルで良い音がしますが、アコーディオンらしくギシギシ言って、 なかなか難しいです :-) どうやら上体全体でノラないと上手くは演奏できないようですね。 パソコンのマイクで録音しましたが、雰囲気は十分良好です。


↓下は、Youtubeからの引用です。

平野屋商店街あたり

平野屋商店街あたりは最も西舞鶴らしいところ、というより丹後・田辺藩の御城下町なので、 とても古風な風情があります。
 細川藤孝、またの名を細川幽齋が、高野川を西側のお堀とし、橋は大手橋しかかかっていなく、 そこがこの地方の交通の起点となっていたそうです。そして、このあたりに商工の町屋が集められ、 城下町として栄えていたそうです。関ヶ原の戦いの時に、舞鶴では細川幽齋が東軍に属し、 田辺城に籠城したことは有名です。
下の地図にある 「洋菓子のヒラノ」 は、家内の実家の実家で、江戸時代から続く老舗らしいです。ロボコンで全国大会に出場したときに、 特注の特大ケーキを作ってもらっています :-)


以下、 「日本の城」 のホームページから引用した田辺城のデータです。
田辺城(たなべじょう)データ
所在地 京都府舞鶴市南田辺
別名 舞鶴城(ぶかくじょう)
「舞鶴(まいづる)」の地名は、田辺城の雅称(舞鶴城)に由来している。
地形種類 平城。舞鶴市の伊佐津川と高野川に挟まれた平野部に築かれ、北は舞鶴湾に臨み、南は沼地という自然の要害地であった。2重・3重の堀と塁壁がめぐらされ、平城ながら堅固な城であった。
遺構 本丸・二の丸石垣  天守台石垣  堀
文化財指定区分 舞鶴市指定史跡
再建造物 隅櫓[昭和15年(1940)復元され、彰古館と名づけられた]
城門[平成4年(1992)復元。城門2階は田辺城資料館とされている]
沿革 天正8年(1580)、宮津城主の細川藤孝(幽斎)・忠興父子が築城に着手、数年後にほぼ完成した。田辺城には、慶長五年(1600)、関ヶ原合戦の前哨戦として、石田三成方の軍勢に包囲された田辺城に籠城した藤孝(ふじたか)が善戦、「古今伝授」の縁で勅命により和睦開城を実現したエピソードが残る。細川氏のあとに入った京極氏のとき大がかりな城郭の拡張がおこなわれ、次の牧野氏時代に諸門や石垣が整備された。田辺城は細川・京極・牧野氏の居城として約290年間、領内統治の中心的存在であった。明治6年(1873)、田辺城は廃城とされ、本丸と二の丸の藩主庭園が舞鶴公園となり、わずかに石垣が残された。