javelin stand @ Amabiki Shrine / Cyber WorkShop in Maizuru  舞鶴では四月中は例年になく気温が上がらず、東日本大震災で心が傷んでいたこともあり、 辛かったですが、五月に入りようやく暖かくなってきました。
 GW始めの5/3には家族で神戸に行きました。黄砂が酷かったですが、中華街もハーバーランド もめっちゃ楽しかったです。午前中は北行き、午後は南行きが混んでいましたが、 我々はその逆方向への移動だったので、 全然快適でした。西舞鶴から神戸三宮までわずか2時間でした。また、5/5(木)には西舞鶴の 「舞鶴とれとれセンター」に自転車で行ったのですが、車で来られる方がものすごく多く、 駐車場に停めるのが一苦労のようでした。 舞鶴若狭自動車道の無料化実験も六月一杯で終わるとのことですが、この一年間に無料なのに 慣れてしまっていたので、ちょっと出掛けにくくなるのかなあと不安です。 でも、被災地や日本全体のことを考えれば、今まで実験してもらってありがとうといった ところでしょう。少しは丹波、丹後、若狭方面に来てもらったでしょうから。

■京都府舞鶴市・奥城屋・奥の院の槍立石 2011/5/7(土)

 さて、5/7(土)には家内が働きに娘が部活をしにいっている午前中に、舞鶴市城屋の 奥の方まで自転車(ドッペルギャンガー Intensity802:クロスバイク) で探検に行ってきました。舞鶴市と綾部市の境まで抜けられる古道が あるはずなのですが、今回は「大蛇退治」の槍立岩を捜しに行きました。ちょっと、 自転車を停めて、川沿いを歩かねばならないのですが、目的地には祠と槍立岩と思しき 岩々がありました。いかにも大蛇が棲んでいそうなところですが、植物も舞鶴らしい のがあり、素晴らしかったです。

雨引神社のシマヘビ

 いつものように、まず雨引神社にお参りしました。 この写真の場所は、まさに「揚げ松明」の現場です。お社から斜めに伸びている大木は、 タブノキです。西舞鶴図書館で借りた本「舞鶴の守りたい自然」(舞鶴市・データブック作成スタッフ) によると、( 胸高周囲約4.7m、高さ20mの巨木です。 石垣を裂き、斜めに立ち上がった太い幹はまるで鬼が棍棒を振り下ろしたようです) とのことです。

 それで、手を清めてお参りしようと階段を上ると「シュルッ」 と音がします。なんと、大きな1m以上のシマヘビでした。雨引神社は蛇神様とも呼ばれますが、本当にこの あたりは蛇が多いです。

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高野川起点

 どんどん高野川沿いを上流へ行くと、「高野川起点」の黄色の標識の場所に付きます。

2009/5/31にバイクCB90(125)で来た時には、大きなヘビ(青大将)を見たところです (今回は見かけませんでした)。

奥の院へ

右側の道をどんどん走っていくと、ついには未舗装になります。 自転車ドッペルギャンガーintensity802はクロスバイクなので、問題なく走破できますが、泥濘が ありますので、1速までギヤを落とすところもあります。道幅は軽トラならなんとか通れる程度です。 しばらく行くと、橋があります。一つ目が「駒ノ爪橋」、2つ目が「第二駒の爪橋」です。



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「第二駒ノ爪橋」の欄干に、「奥の院」の標識があります。
川沿いを歩いていきます。もちろん、ヘビが怖いので、足元を見ながらですが。

京都新聞社 丹波・丹後の伝説より

63蛇神様(p.142-143)、舞鶴市城屋
.....前略.....
 揚松明が行われる雨引神社は蛇神様とも呼ばれる。いまから四百年以上の昔、弘治二年(一五五六) 陰暦七月十四目。一色氏の遺臣で女布(にょう)の郷士、森脇宗坡が、娘を飲み込んだ長さ一丈五尺三寸(約 五メートル)もの大蛇を仕とめ、ここにまつったと伝えられる。大蛇を退治した瞬間一天にわかにか きくもり、どっと雨が降り、娘を天にいざなうような虹もかかり、いつの間にか雨引神社と呼ばれ るようになった。
 森脇宗坡の娘は何鹿(綾部市)の郷士、赤井氏に嫁に行ったばかり。 里帰りのため、供まわりの佐七 と城屋の日浦が谷を急いでいた。玉のような汗をぬぐいながら尾根に差しかかると、あたりは異様 な冷気が立ち込め、ザーッと生暖かい風が吹くと、娘は宙に浮いていた。「アレーッ」と叫ぶ間 もなく娘は大蛇の赤い口の中へ。腰を技かした佐七はほうほうのテイで森脇家に逃げ帰った。
 怒り心頭に達した宗坡。七月十三日の早暁、山着に身をかため、馬にまたがって日浦が谷にはい った。「すみやかに本性を現し、立ち向かえ−」。宗坡が叫ぶと、地獄を思わせる暴風雨。大蛇 がらんらんと光る目を見せた。宗坡は弓を満月にひきしぼり、その左眼をみごとに射抜いた。しか し、強大な大蛇はびくともせず、宗坡はその日はむなしく引き揚げた。翌十四目。「今日こそ勝負」 と、再び谷にわけ入り、たけり狂う大蛇に向かった。右眼を射抜き、両眼を失った大蛇をやっとの ことで仕とめ、その胴を三つに切り断った。宗坡は「大蛇の霊は天に帰った」と頭部を舞鶴市内の 城屋に、腹部を野村寺に、尾部を由里にまつった。頭部をまつったのが雨引神社。揚松明は大蛇が 火をはくのを模した祭典ともいかれ、地区ではいまでも続けられている。


丹後の地名、地理、歴史、資料室のホームページより

(←Click!) 様のホームページによると、 雨引神社から高野川を三キロばかり遡った上流に「雨引神社奥の院」がある。さらにその奥に伝説の「蛇が池」もある。
●奥の院 昭和三十二年建立
・位置 ……日浦ケ谷駒の爪
・祭神 ……水分神(雨引神社の分社)
・社殿 ……昭和三十二年(一九五七)建立
    五銘石(駒の爪石、槍立石、駒繋石、兜石、舟石)を槍立石附近に集め、日浦石を積み祠を建立し祀る。
・祭礼 ……十一月十三日近くの日曜日に行なう。
・清掃 ……日浦組、女布谷組隔年交代で行なう。
・五銘石 ……森脇宗坡大蛇退治の伝説にまつわる石が多くある。
▲駒の爪石−縦約九十糎、横約一米六十糎、高さ約一米三十糎の石の表面に宗坡の馬が踏ん張った時に出来たと伝えられる蹄の跡と見られる窪みが二個ある。
▲槍立石−縦約一米、横約一米四十糎、高さ約七十糎の表面に宗坡が馬上より槍を立てた時に出来たと伝えられる大きな深い穴が四個ある。
▲駒繋ぎ石(別名瓢箪石)−上部縦約七十糎、横約八十糎の楕円形首部約七十糎、下部縦約一米五十糎、横一米三糎、高さ一米五十糎の大石である。昭和四十三年十月、舞鶴市民会館建設の時舞鶴郷友会により寄贈されて、外二個の日浦石と共に市民会館の前にあり、惜しくも元の駒の爪になく、五銘石は揃っていない。どうして持出されたか判明しない。
▲兜石−縦約一米、 横約一米、高さ約五十糎、正面から見ると、ひだがとれていて兜のようである。
▲舟石−縦約六十五糎、横約一米七十糎、高さ約四十糎の石で舟型をしている。

とのことです。

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数十メートル歩くと、祠が見えてきます。
上記の説明のように、特徴のある岩が苔むしていて独特な雰囲気です。

←この写真の岩が、槍立岩でしょう。丸い窪みが並んでいます。
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上流は砂防ダムになっていますので、【さらにその奥に伝説の「蛇が池」もある。】に行くのは 大変です。5m以上だったという大蛇が出たら大変ですが。。。
 先ほどの「第二駒ノ爪橋」を渡ってどんどん行けば、上流に行けますが「蛇が池」に 行けるかは不明です。道も崩れていて軽トラでは無理、トレールバイクでもきつい、 マウンテンバイクなら行けそう、それでも綾部市境まではちょっと無理そうです。

この辺りにはこの地方独特の植物が見かけられます。
左の写真は確か「有毒のイモ」だったと思います。奇妙な花が咲くはずです。

帰り道

 帰り道は下りなので、爽快です。鯉のぼりは泳いでいるし、菜の花畑にKTR北近畿タンゴ鉄道の 水色のバスのようなディーゼルは走るはで、のどかそのものです :-)


←ところで、左の写真の 城南会館 で、2011/6/25(土)に 舞鶴高専の創造技術研究会クラブがロボコン展示および操縦体験を行います。 顧問の私は部員の学生といっしょに、小学生相手に「電子ホタル」の半田付けに よる製作教室を開きます。ぜひ 城南会館 にお問い合わせください。