Cyber Work Shop in Maizuru : DOPPELGANGER 802 touring to Magura, Maizuru, KYOTO pref.
●舞鶴市真倉への2時間ツーリング(2010/3/22)
<- クリッカブルマップになっています。○印をクリックすると解説ページにジャンプします。
さて、東日本大震災の被災地ではガソリン不足で動きが取れないと報道されています。
いち早くそれが解消されることを祈っていますが、そのような際の移動手段としては、
自転車もある程度有効でしょう。
2011年3月22日(火曜日)は「勤務を要さない日」であり、原稿書きのため引きこもっていて明らかに
体を全然動かしていなかったので、自転車で走りだしました。
当初の目的であった「舞鶴市内の全ての踏切で写真を撮る」ために、まずはJR西舞鶴駅から
西側の綾部市の境までを線路沿いに走ることにしました。
国道R27が並行に走っているのですが、舞鶴若狭自動車道への分岐から先のJR舞鶴線には舞鶴市内の
踏切は3つだけでした(一本杉、下北、真倉)。JR舞鶴線の西舞鶴から西行きの次の駅は「真倉」駅
です。そこから1kmほどで綾部市に入りますが、そこには「これより南、丹波國何鹿」、「これより北、丹後國加佐郡」
の石柱があります。また、その少し舞鶴側から少し山に入ったところに「紫竹山稚児ヶ滝不動明王」があり、
せっかくの悪路向きのクロスバイク自転車なので足を延ばしました。
ぶらぶらと景色を見ながら走ったので、往復1時間半くらいでしたが、良い気晴らしになりました。
DOPPELGANGER 802はクロスバイク自転車なので、タイヤが若干幅広くそんなにスピードは出ないのですが、
21段も変速できるので雪解け水でジュクジュクで走行抵抗の大きな坂道でもなんとか走破できる
のはなんとも心強く感じました。
「丹波國何鹿」で思い当りましたが、地図を見ると、舞鶴市の城屋からの山超えです。
娘が城屋地域の老人の方から聞いた話だと、「昔は綾部まで続いていた」そうですので、
下記引用の森脇宗坡の大蛇退治の道なのでしょう。クラスバイクやマウンテンバイクでは
行けないかもしれませんが、いつの日にかいってみます。
雨引神社周辺(高野川散歩)←クリック!
京都新聞社 丹波・丹後の伝説より
63蛇神様(p.142-143)、舞鶴市城屋
.....前略.....
揚松明が行われる雨引神社は蛇神様とも呼ばれる。いまから四百年以上の昔、弘治二年(一五五六)
陰暦七月十四目。一色氏の遺臣で女布(にょう)の郷士、森脇宗坡が、娘を飲み込んだ長さ一丈五尺三寸(約
五メートル)もの大蛇を仕とめ、ここにまつったと伝えられる。大蛇を退治した瞬間一天にわかにか
きくもり、どっと雨が降り、娘を天にいざなうような虹もかかり、いつの間にか雨引神社と呼ばれ
るようになった。
森脇宗坡の娘は何鹿(綾部市)の郷士、赤井氏に嫁に行ったばかり。
里帰りのため、供まわりの佐七
と城屋の日浦が谷を急いでいた。玉のような汗をぬぐいながら尾根に差しかかると、あたりは異様
な冷気が立ち込め、ザーッと生暖かい風が吹くと、娘は宙に浮いていた。「アレーッ」と叫ぶ間
もなく娘は大蛇の赤い口の中へ。腰を技かした佐七はほうほうのテイで森脇家に逃げ帰った。
怒り心頭に達した宗坡。七月十三日の早暁、山着に身をかため、馬にまたがって日浦が谷にはい
った。「すみやかに本性を現し、立ち向かえ−」。宗坡が叫ぶと、地獄を思わせる暴風雨。大蛇
がらんらんと光る目を見せた。宗坡は弓を満月にひきしぼり、その左眼をみごとに射抜いた。しか
し、強大な大蛇はびくともせず、宗坡はその日はむなしく引き揚げた。翌十四目。「今日こそ勝負」
と、再び谷にわけ入り、たけり狂う大蛇に向かった。右眼を射抜き、両眼を失った大蛇をやっとの
ことで仕とめ、その胴を三つに切り断った。宗坡は「大蛇の霊は天に帰った」と頭部を舞鶴市内の
城屋に、腹部を野村寺に、尾部を由里にまつった。頭部をまつったのが雨引神社。揚松明は大蛇が
火をはくのを模した祭典ともいかれ、地区ではいまでも続けられている。
●一本杉踏切
一本杉踏切は、国道R27沿いにあるウスイ釣具店およびコンビニ・ローソンの脇道にあります。
●JR舞鶴線・真倉駅
JR舞鶴線の真倉駅は無人駅です。この駅に止まる電車はワンマンカーです。
大変きれいに整備されています。
←Click 動画(WMV8)
ちょうど、西舞鶴行の電車が来ました。通学生がひとりだけ降りてきました。
JR舞鶴線は単線ですが、ホームが両側にあって、行き違いができるようになっています。
以下の写真のように、周辺案内として「紫竹山稚児ヶ滝不動明王」がされていましたので、
できれば立ち寄ることにしました。駅前の八手の木が大変印象的です。
●下北踏切
下北踏切は、真倉駅から西行きの初めての踏切です。旧国道R27が通っています。
新国道R27の向かいには
レストラン・ロッキー
があります。手作りハンバーグが有名らしいですが、その他のメニューも充実しています。
←Click 動画(WMV8)
帰り道に遮断機が降り、下り電車が通過しました。
●真倉踏切
真倉踏切は少々分かりにくいところにあります。伊佐津川の鉄橋の少し東側です。
真倉地区の集落に行けます。
●R27:舞鶴市-綾部市の境界
もう少しで綾部市ですが、このあたりは
2004年10月28日の大型台風で国道R27が伊佐津川により半壊したとこです。
(由良川沿いの舞鶴市・志高ではバスで水没したニュースは全国に伝わりましたが、
ここも大変だったのです)
振り返ると、R27が台風で半壊したところの補修の跡が分かります。
伊佐津川橋梁をくぐるともう少しで綾部市です。江戸時代の舞鶴の殿様の参勤交代でも、
このあたりで川越をしたということです。真倉はそのための休憩施設があったそうです。
ほんのわずかに行くと、国道R27の「綾部市」の標識があります。標識のキャラは「まゆピー」です。この少し向こうは
和紙で有名な黒谷地区です。
標識の近くに、石柱があります「これより南は丹波国何鹿郡」です。
戻ると「舞鶴市」の標識があります。
近くの石柱は「これより北は丹後国加佐郡」です。
●紫竹山稚児ヶ滝不動明王
←Click 動画(WMV8)
舞鶴から伊佐津川鉄橋の少し前に、
「紫竹山稚児ヶ滝不動明王→200m先」
の案内板があります。入口は、伊佐津川鉄橋をくぐってすぐ右側です。
高さ制限1.7mの高さ制限バーがあります。
Wiki:紫竹山稚児ヶ滝不動明王←クリック!より、
安倍宗任の子「千世童子」を祀る史跡である。 境内最奥に、高さ50cm程の不動明王像を両脇に従えた長さ8m程度の段瀑が掛かっており、その手前には樹齢300年を越えた「ツキの木(欅)」が神木として祀られている。 毎年7月28日に祭礼が執り行われる。
安倍 宗任 (あべ の むねとう)は、平安時代中期の武将。陸奥国の俘囚の長とされる豪族、安倍氏の安倍頼時の子。鳥海柵の主で、鳥海三郎とも呼ばれる。
奥州奥六郡(岩手県内陸部)を基盤とし、父・頼時、兄・貞任とともに源頼義と戦う(前九年の役)。一族は奮戦し、貞任らは最北の砦厨川柵(岩手県盛岡市)で殺害されるが、宗任らは降服し一命をとりとめ、源義家に都へ連行された。その際、奥州の蝦夷は花の名など知らぬだろうと侮蔑した貴族が、梅の花を見せて何かと嘲笑したところ、「わが国の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ」と歌で答えて都人を驚かせたという。(『平家物語』剣巻)
←Click 動画(WMV8)
お不動さんからR27への帰り道のダート、さすがクロスバイク
難なく走破できますが、泥んこになりました。
帰宅してから洗車し、オイルをさしました。