around the TAKANO river / Cyber WorkShop in Maizuru
●コラム:高野川さんぽ
高野川は西舞鶴市街を流れる大変変化にとんだ楽しい川です。舞鶴高専の学芸誌に、その昔
「朝来川散歩」という秀逸なエッセイがあったので、それにあやかって紹介文です。
以下は、上のほうが最新です。
from 2009/5/2, last updated 2011/6/26
■八島商店街ロボコン展示(2011/7/2,2010/7/17,...)
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舞鶴高専の創造技術研究会クラブでは、毎年東舞鶴八島商店街の土曜夜の市で、
ロボコン展示を実施しています。オープンカレッジや小学校、公民館でも展示を
行っていますが、一般の舞鶴市民に触れ合う機会としては一番です。
テレビや実際に会場で「見ていましたよ」と言われる方も多く、注目を
していただけているのは大変励みになります。これで一般向けのイベントは
終わりで、本年度のロボコン製作に集中します。盆明けからは合宿が始まります。
舞鶴高専のロボコンを非常にレベルが上がって来ていて、かつクラブ運営も仲良い中にも
徹底したミーティング(作業報告や目標申告)がしっかりしており、これなら
いつの日か優勝や大賞もありうるでしょう。
■舞鶴牡蠣丼(2011/6/26,2009/12/31,12/27)
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2011/6/26(日)、東舞鶴の中華料理店「東来(とんらい)」で「あんかけ岩牡蠣チャーハン」を
食べてきました。舞鶴市の東端の成生漁港の漁師さんと契約されているそうで、とても大きな
岩牡蠣でタンノウしました。「東来(とんらい)」は老舗の中華料理店で大変アットホームです。
また家族と行きたいものです。
2009/12/31(木)大晦日に、西舞鶴駅から徒歩5分の国道27号線沿いにある「出雲そば 加寿美」
さんに家族+義父母で年越しソバを食べに行きました。
舞鶴牡蠣丼もメニューにありましたので食べましたが、納得のオイシサでした。
2009/12/27(日)、買い物のついでに、前から気になっていた舞鶴牡蠣丼を食べてきました。
といっても一般的な卵とじではなく、なんとデミグラスソース仕立てです。
■自宅にホタルが飛んで来た!! 2011/5/21(土)
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2011/5/21(土)の朝8:30、自宅のガレージ前で庭の手入れをしていると、どこからともなく
源氏ホタルが飛んできました!! こんな明るいときにホンマかいなと思いましたが、
しばらく眺めていると確かにお尻が薄い緑色で、これは間違いないということで、
デジカメで撮影しました。
2011/6/4(土)の深夜には高野川の橋の欄干で発光しているホタルをアップで
動画撮影することができました。台風2号の増水で流されてしまったかと
思っていましたが、元気でなによりでした :-)
■京都府舞鶴市・奥城屋・奥の院の槍立石 2011/5/7(土)
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舞鶴では四月中は例年になく気温が上がらず、東日本大震災で心が傷んでいたこともあり、
辛かったですが、五月に入りようやく暖かくなってきました。
さて、5/7(土)には家内が働きに娘が部活をしにいっている午前中に、舞鶴市城屋の
奥の方まで自転車で探検に行ってきました。舞鶴市と綾部市の境まで抜けられる古道が
あるはずなのですが、今回は「大蛇退治」の槍立岩を捜しに行きました。ちょっと、
自転車を停めて、川沿いを歩かねばならないのですが、目的地には祠と槍立岩と思しき
岩々がありました。いかにも大蛇が棲んでいそうなところですが、植物も舞鶴らしい
のがあり、素晴らしかったです。
■舞鶴公園での子供神輿など 2010/11/3(水)
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さて、文化の日の2010年11月3日(水)に、本を返しに西舞鶴図書館に行ってきました。
でも閉館していたので(orz)、返却ポストに返し、引き返す途中、舞鶴公園(城跡)で
子供神輿や太鼓屋台をやっていました。
舞鶴公園は舞鶴城跡であり、初代城主はもちろん細川幽斎公です。
舞鶴市のイベント情報にもありませんでしたが、法被や裃を付けた子供や大人が
楽しそうに騒いでいました。
■舞鶴公園 = 田辺(舞鶴)城址 2010/7/11(日)
高速無料化 !!
さてさて、2010/7月から舞鶴若狭自動車道(兵庫県三田市〜丹波篠山市〜京都府(福知山、綾部、舞鶴)〜福井県高浜町〜小浜市)
が高速無料化(実験)されました。ぜひ、この機会に、丹波、丹後、若狭方面に、お出かけ頂くについて、西舞鶴の中心部を紹介しましょう。
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梅雨まっただ中の2010/7/11(日)に自宅から西舞鶴図書館まで、傘をさして徒歩で出かけました。
JR舞鶴線およびKTR(国鉄時代は宮津線)西舞鶴駅から徒歩5分の、舞鶴公園を突っ切ろうとして、
城門をくぐって眺めていると、左の写真の門の下のオジサンに話しかけられました。実は無料の観光ボランティアの方で、
いろいろと説明して貰いました。
■果樹を植えました 2010/4/17(土)
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2010/4/17(土)〜、自宅の庭に果樹を植えました。城陽中学校時代の卓球部の友人が、
九州の福岡県浮羽郡(現在久留米市)で苗木栽培をしているのですが、昨年の夏休みに
訪問して頼んでおいた苗木が4月に到着しました。さすがに、プロの苗木屋さんの果樹だけあって、
大変力強い感じがします。
その他、学会などで各地(長野など)に行ったときに、お土産に買ってきた果樹も植えています。
年月はかかりますが、可愛い実をつけてくれるのは嬉しいものです。
2010/9/2「福岡県うきはの「やまんどん」でぶどう/ナシ狩り!」を追加
■喫茶店KeKeのメロンパフェ 2010/6/26(土)
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2010/6/26(土)、久々に家族で
喫茶店KeKe (京都府舞鶴市 上東33−7)
のメロンパフェを食べにいきました。
今回注文したのは、メロンパフェです。普通が1200円、大玉が1400円だそうです。
ほどよい熟成具合で、変にピリピリしないし、最高です。また、アイスクリームも大変おいしく、
堪能しました。
■舞鶴漁港でGW休暇 2010/5/4(火)
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2010/5/4(火)、快晴の中、舞鶴漁港まで自転車で出かけました。
自宅から漁港までは自転車で20分くらいです。
GW中そして、舞鶴では火曜日は商店街がお休みということで、
街中は寂しいのですが、漁港は家族連れの釣り人がいて楽しそうでした。
■宮津市でGW休暇 2010/5/3(月)
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2010/5/3(月)、ひさびさの家族サービスで宮津市に出かけました。自宅のある西舞鶴
からは30分もかかりません。
宮津駅前の食堂・富田屋さんで昼食をタンノウし、海岸線を通って、
シーサイドマート・ミップルまで行きました。
■ベイビーアコーディオン 2010/1/30(土)
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2010/1/30(土)、ずっと自宅に引きこもって原稿書きを続けていたので、
気晴らしに西舞鶴の平野屋商店街まで自転車で出かけました。
前から気になっていた「イマニシ楽器店」で、衝動買いでミニアコーディオンを買いました。
平野屋商店街あたりは最も西舞鶴らしいところ、というより丹後・田辺藩の御城下町なので、
とても古風な風情があります。
■雨引神社そして高野川起点へ超ミニツーリング(2009/5/31)
五月末日、曇天の中、CB90(125)で出かけました。
<- Click!、自宅から雨引神社まで動画(WMV8)
高野川をずっと遡っていくと、城屋地区の「雨引神社」につきます。ここは、「揚松明」という神事(無形文化財)
が有名です。
娘が小学生のころは、この神社の前の城屋公民館で、高野小学校で行われる
地域運動会のための話し合いによく参加していました。普段は大変長閑な処で、
みるからにホタルがたくさん出そうです。6月末にまた出かけましょう。
以下、
様、より引用させてもらっています。
●雨引神社と揚松明
・祭神 水分神(みくまりのかみ)別名を蛇神様
・由緒 農耕水利を司る神
古代の先祖は農耕が主であり、水はなくてはならないものであり、旱ばつをうれえて
水分の神を氏神として祭り豊作を祈ったのが始まりである。又、弘治二年(一五五六年)
一色氏の遺臣森脇宗坡という郷士が日浦が谷に棲んでいた大蛇を退治し雨引神社に合祀
したことから別名蛇神様ともいう。
雨乞いのため火を焚く習慣は以前から行われていたが、この大蛇を合祀するように
なってから揚松明という神事が今に継承されるようになった。毎年八月十四日(以前
は旧暦七月十四日)に祭礼が行われる。当日夜の九時頃より宮司の祈とう、太鼓の
ねり込み、行事に参加する青年の清流でのみそぎ、小松明への神火の点火、大松明
へと神事が行われる。この揚松明の行事は舞鶴市の無形文化財(昭和四十年五月三十日)
に指定され昭和六十二年(一九八七年)四月十五日には京都府の無形文化財にも指定
されている。
●城屋の揚松明(例祭=八月十四日)
この奇祭は江戸期六月九日、後陰暦七月十四日に行われていた。享保二十年(一七三五年)
の史料田辺旧語集にも「大松明の祭りめずらしき祭りにて年の豊凶を試」としるされている
ことから、よほど古い頃からの行事であることがうかがわれる。
又、水分神にかけた雨乞いの神事、揚松明と水にかかわりのある大蛇の伝説が合致
して今の行事が継承されるようになったと推測される。
揚松明は当日、早朝より区民全員(今は半数)が出て、高さ五丈三尺(約十六米)の大木に
麻殻で組んだすり鉢形を上部に取りつけ大松明を作る。尚、この大松明の上には真竹をたて、
その先端に御幣をまつる。境内に出来上った大松明は立てられ倒れないよう三方に大綱が
張られる、桿の詰をして出来上る。
午後十時頃、城屋区内の青年達が神火をつけた小松明を手に手に持って大松明のまわりを
とりまき一斉に投げ上げる。やがて大松明に点火されるとしばらくして夜空を焦がす壮観な
姿となる。数分後、御幣の竹が爆音と共に落下する。この落ちる方角によって古老達は
今年の作物の豊凶を占っという。
以下の写真は、デジタル・民間伝承の森様、から引用
させてもらっています。
●境内建物
・雨引神社棟上
・安政六年(一八五九年)九月十一日 改築
大工棟梁 堀田亦左衛門(五良作家)
・境内十一社:多賀神社、今刀比羅神社、兵主神社、
熊野神社、大川神社、八幡神社、神宮神社、春日神社、稲荷神社、正勝神社、若宮神社
・嘉永二年(一八四八年)改築
・昭和五十五年(一九八○年)再建
・鳥居 明治初年欅の大木により再建
昭和五十五年袖柱四本補修
・お堂 慶応年間(一八六四年)新築
・狛犬 文久元年九月 氏子寄進
・橋 昭和五十二年七月 改築
・奥の院 昭和三十二年建立
・蛇池の下流 ……蛇神様の別院として祀った。
・槍立石・駒の蹄石……森脇宗坡が大蛇を退治しに行ったとき出来たといわれる槍のあとと駒の蹄あと。
・祭礼に打ち鳴らす太鼓の打法
田辺城を中心に城下町で鳴らす太鼓の打法を城近所という。因みに川筋方面の打法は祭太鼓という。
●さらに高野川起点へ
雨引き神社から、どんどん高野川を遡ると、とうとう「高野川起点」の標識の場所に行き着きます。
しかし、まだ道は続いていて、娘が地域の老人の方から聞いた話だと、「昔は綾部まで続いていた」そうです。
バイクでどこまで行けるか、、、行って見たいものです。
<- Click!、雨引神社から高野川起点まで動画(WMV8)
高野川起点です。いかにもホタルがたくさん出そうな場所です。
おや、あそこに見えるのは、、、
やっぱり、ヘビだ! それにしても見事な青大将ですね。雨引神社は別名「蛇神様」ですから、
まさに神様ですね。自宅前の高野川の清掃の際にも寿橋のたもとでやはりヘビを見かけたことがあります。
■自宅周辺散歩(2009/5/24)
わずかな小雨の中、傘をもって散歩してきました。大変、気持ちの良い日でした。 :-)
●女布(にょう)の里
すごくのどかなところで、下の写真のおばちゃんも、気さくに声をかけてくだいました。
ネギが素晴らしい(「初音ミク」を思い出してしまいました:-)。また、舞鶴有機農業研究会の畑があり、これまた
素晴らしい野菜が目を楽しませてくれます。
以下、
斉藤喜一氏の『丹後の地名』ホームページ
より引用
▲水銀地名:舞鶴市女布
舞鶴には丹生関係の地名が幾つかある。丹生地名は変化が多くて正体が見抜けにくいもの
も多い。北から見れば浦入(浦丹生)(うらにゅう)・大丹生(おおにゅう)・二尾(にお)
(下安久二尾。匂ケ崎(においがさき)公園がある)・女布(にょう)である。これらが
怪しそうと気付かれることであろう。
朱の地名群
地図をひらいて見られよ、ほぼ一直線に等間隔に並んでいる。何断層というものか、
それに沿ってあるように思われる。これらの地名群を朱の角度からとりあげた書を見ない
のだが、どう見ても過去の朱の産地を指す地名と思われる。
若狭国境の青葉山等の火山灰による赤土は舞鶴ならどこでも見ることができる、これは
火星表面の赤茶色、鉄の赤土だ。水銀朱の赤土というものは、どこにでもあるというわけ
でもなく、大変高価で貴重であったという。
日本の水銀鉱床は中央構造線沿い、当地に関係深いところなら特に紀ノ川・吉野川流域
にあるのだが、そのずっと北側にも、当地の女布あたりを中心に大きな楕円を描いて但馬
から近江・越前を含む範囲、若狭湾岸地域とも呼ばれているが、そこにも集中分布している
のが、以前から知られている。
この地域は十分に予測されるにもかかわらず、水銀鉱床そのものはまだ知られていない
そうである。しかし舞鶴あたりに水銀鉱山があるとか、あったとかいう話は、まだどんな
書にも書かれていない。
舞鶴市十倉(とくら)に新しく温泉が湧出している。温泉を求めて地下1300メートルまで
掘ったそうである、そこからはハワイ沖太平洋海底の岩が出た、その石が入口に展示され
ている、何かの変成岩だろうが私にはわからない。
今取り上げようとしている水銀地帯は、地質的には古生代の夜久野岩類(夜久野オフィオライト)
と分類される、この辺りでは舞鶴層群と呼ばれる古生代の堆積層の間に挟まれている。
太平洋の中央海嶺で作られた斑糲岩・橄欖岩・玄武岩類である、2億年前は太平洋の底に
あったものである。斑糲岩は鉄を含むそうである。これらの岩の上に分厚く火山灰が乗っている、
所によっては10メートルは超えるだろう、たぶん新生代の幾度かの火山活動によるものであろう。
水銀はどの層にあるのか、もちろん私にはわからないが、たぶんこの夜久野層であろうかと思う。
大浦半島の舞鶴湾の入口東側に位置する浦入は現在火力発電所が建設されているが、
ここは浦入遺跡で知られる。その南隣が大丹生である。二尾は舞鶴銅鐸の出土地で知られる。
女布は西舞鶴地区の発祥の地であり、女布遺跡で知られる。
いずれも古代人の活躍した超重要地域であるが、これがすべて朱の産地と重なる。
大丹生(舞鶴市)思えば弥生は稲作文化ではあるが、また渡来文化であり、金属文化でも
あった。当地の渡来人と金属文化を見落としてはなるまい。
▲女布周辺は朱の文化の一大中心地
「女布」の地名、一体どう読まれるだろうか。難読地名と言えるだろう。正しく読める人はまずいない。
もしかなり正しく読めたなら、地名とか古代史にも強い方であろう。当地ではニョウと呼ぶ。えっ、
それって日本語ですか、などと驚かれるが、さきほどの地名で言えば、二尾と大変に間違われやすい
地名である。区別するために「高野の女布」と呼んでいる
同じこの女布の字を書いても、メフとかヒメフと読む所もある。どれが本来の正しい読み方なのかは
誰にもわからない。女布(舞鶴市)『加佐郡誌』は、
女布は古代には彌布と書いたが中古から今の名に改められた。ニョオはアイヌ語の村と言ふ意味
のものであると高野村民政制度沿革調査書(手記)にあるけれども辞書には見えないから信じがたい。
としている。女布は丹生の地だとするのは、『丹生の研究』昭45(松田寿男著)である。
●オートプラザの中古パソコン店
主に社の減価償却品や、リース上がり、そして個人からの買受品を
扱っているそうです。この日はUSBジョイパッド(500円)を買いました。
写真の、東芝ダイナブックは\28,000と激安ですが、フロッピ、シリアルポート、プリンタポート、etc、フル装備で、
画面も広く、マイコンやFPGAの開発には最適でしょう。ただ、CPUとメモリがロースペックなので、
それが分かって使えないと苦しいかも? もしかしたら買うつもりです。
●モスバーガー舞鶴店
ここはサービスも良く快適で、よく利用します。横の踏切を渡って、しばらく歩くと
真名井の清水があります。ずっと、中筋小学校まで、小川沿いに歩くのはとても気持ちが良いです。
平成の名水百選より:「奈良時代の丹後風土記には「その味甘露の
如し、万病を癒す力がある」と記されている。また江戸時代には田辺城の城内へ引き入れ利用し、
湧水を使用した都市上水道として日本で最古とされている。」
●おまけ「さかなや」さん
たいへん看板がユニークで目立つ店ですが、中身が素晴らしい。
舞鶴の旬の魚介類(冬場は、もちろん、カニ、ブリ、カキ)が買えます。この日はイイダコが
一盛298円でした。「ゆがくだけで、美味しいヨ〜」だそうです。酢味噌で食べたら、最高で
しょうね。
■自宅から「さとう」まで(2009/5/2)
<- Click! 鳩・動画(WMV8)
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以下、写真集です。時間が取れ次第、コメントを書く予定です。
■中古チェア(2009/5/1)
白鳥街道のトンネル西舞鶴側の「舞鶴文具」で中古チェアを買いました。なんと千円です。
皮製とのことで、かなり痛んでいますが座り心地は超ラクチンです。レザーワックスをかけ、シートカバーを
掛ける予定です。
<- Click! リクライニングの調整の様子・動画(WMV8)